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すうじのむこう

勉強でも、フィギュアスケートでも、カラオケボックスでも、今では点数という主観的なものに支配されている。




誰かが決めたテキストを解き、攻略法を見つけては良い点数を取れば、みんなが君を凄いと言い、たくさんのお金をくれる仕事につくことができるだろう。

でもそんな事のために、誰かが決めた勉強を学ぶなんてどうかしてる。

知りたい事を学べば良い。
僕はどうでもいい事が知りたい、たぶん何の役にも立たないけど。

得点の高い技を練習すれば、金メダルがもらえるかもしれない。

でも、そんなもののために縛られている姿は、滑らかに氷上を走る君の姿とは程遠い。

たとえば君が、思いのまま好きなように銀盤の上を舞うことが出来たのなら、それが0点だとしても、何よりも美しいもの。
その思いは、数字では表せない。

いつからか点数機能のついたカラオケボックスでは、全国の誰かよりも高い点数を取ろうと戦いが繰り広げられている。

でも機械に打ち込まれた音程をたどり、評価を稼ぐためにわざとらしく声を震わせた歌に、僕は何一つ感動しない。

確かに正確に歌われたその歌はとても上手いのだろう、でも僕は何一つ感動しない。
それはまるでロボットみたいだ。

下手くそでも、ダサくても、その思いを表現するように歌われたその歌に僕は感動する。




もともと歌とは芸術だった。
芸術は爆発だ、と岡本太郎は言った。
爆発するような感情を乗せたその声こそが歌だった。

しかし、いつしか歌は点数を取るためのゲームとなった。
勉強もフィギュアスケートも、いつしか点数を取るためのゲームとなった。

ただただ、感情が伝わり感動となる。それでいいはずなのに。

全てが数値化され、誰かの主観で戦うゲームとなった。

それが全部悪いわけじゃない。
でもゲームが流行り過ぎている今は何かがおかしい。
仕方ない、ゲームに乗っかっていれば難しい事を考えなくて済むし恥ずかしくもない。
思考停止の頭ばかりだ。

テキストを解けるやつが賢い訳じゃないことを
点数の高い技が美しい訳じゃないことを
音程通りに歌うことが、決して素晴らしい訳じゃないことを忘れたくない。