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歌詞のこと

最近考えていたこと。

本、映画、音楽、演劇など芸術で表現できる時間軸のこと。

本(小説)が10だとすると、映画は7くらい、演劇は4くらいで、音楽(歌詞)で表現できるのは0.1くらいのものなんじゃないかと
(そもそも芸術にそんなルールじみたものを考えること自体ナンセンスなのだろうけど)

1曲の音楽の歌詞の中で表現できることって
一瞬の変化、動き、感覚という瞬間的な時間なのではないだろうか

JPOPとロックの歌詞の根本的な部分での違いについて思ったりした

JPOPは一般的であり普遍的なことを共有しやすい言葉で表現している
恋愛や応援歌、クリスマスソングなど季節ものが多いイメージかな
JPOPへの皮肉表現で「翼広げがち」とか「桜舞いがい」とか言われるのは、日本人なら桜が舞い散る様の綺麗さが容易に想像出来るし、「翼広げる=旅立ち」という想像がしやすいので卒業ソングに多用されたりする
そういった誰にでも想像しやすいものは分かりやすいけど陳腐とも言えるね
簡単で確実だから使っているというのもあるだろうけど、そこの新しさを探すのを辞めたら芸術じゃなくなるんだろうね
分かりやすいのは良いけど、特に最近は音楽も使い捨てみたいになって深みに欠ける印象が強いなぁ

一方ロックは、自分語り的である
自分の内面に降り積もった感情を表現するというのがアイデンティティとしてあるのだと思う
岡本太郎芸術は爆発だと言ったがまさにそれである

勿論JPOPもロックもごちゃ混ぜでそれぞれがこういう傾向ってことでもないのだけど、辿っていくとこういうルーツなんじゃないかなと

もうひとつ別の軸で考えてみると

おそらくほとんどの音楽の歌詞は、95%くらいはこの現実の世界の事を歌っているのではないかと、ジャンルを問わずに。

では現実以外の世界の歌というのは、
理想郷のような、ユートピアのような、イーハトーブのような、現実から飛躍した世界の歌だろう
現実にあるよどみや汚れのようなものが全て取り除かれた美しい世界である

現実と理想郷という2つの世界に分けてみたが、実はこの中間的な場所も存在する。

それは現実世界に立ちながら、理想郷への思いを歌った歌である。

そんな歌を歌っているシンガーで思いつくのは、スピッツ草野マサムネandymori小山田壮平だ。

この二人の歌からは、本来の世界は本当に美しいものなんだという思いが感じられる
それと同時に、世界の本当の美しさを知っているからこそ現実にある汚さや悪意が見えてしまう
この2つから、理想郷への思いが歌として歌われているのではないだろうか。

二人の歌にある違いとしては
草野マサムネは、理想郷への想像や妄想が歌となり、動物に憑依したような感情を歌う歌などもある。
小山田壮平は、あくまでも日々を生きる人間が主人公であるが、そこに現れる動物は人と同じように会話ができるような、人種も種別もなく全ての生き物は等しい存在である。宮沢賢治の童話に近い世界観なんじゃないかなと感じる。

もう一人、世界の終わりの深瀬慧は、1stミニアルバムのEARTHでこのような理想郷への思いを歌っていたのが強く印象に残っている。
現在はファンタジーの世界や現実の世界を行ったり来たりのような感じになっていると思う。


こんな感じです。