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曖昧な愛は哀にあふれてる

サッカークラブのレプリカユニフォームはすごく高い。12000円くらいする。

買い物の話

去年初めて自分の最も愛するクラブのユニフォームを買ったのだけど、どれだけ熱心なサポーターでもやはり値段が高いせいか買ってない人もいる。
僕的には、アウェイに観に行く事が増えて、ユニフォームを着ているのと着てないのとでは敵地に乗り込んで来た感が違ったし、もちろんクラブにお金が入るし、来ているだけでクラブとスポンサーの広告になる

他にはCDをよく買う。
レンタルしたのをコピーしたり時間が経って中古店に並べば安く買えるのだけれども、最近はほとんど新譜を買っている。
CDを買う事は、このCDをつくった人たちにこれからも音楽をつくり続けてほしいという意思表示というか、投票のようなものだと思っていて、だからミュージシャンにお金が入る新品を買う。
半分壊れたランキングの上位に行ってほしいとか、人気が出てほしいとか、そういうのじゃなくて。

ユニフォームにしてもCDにしても、自分が愛しているものには、お金を払いたいと思っている。

ユニフォームを買わなくてもサッカーは観れるし、CDを買わなくても音楽は聴ける。

元々サッカーなんて、サッカーが好きな人たちが好きでサッカーをしていて、サッカーを好きな人たちが好きでそれを観ているだけ。そこにお金なんて存在しない。

音楽だって、音楽好きな人が勝手に音楽をつくって、演奏して、それを好きだと思った人が勝手に聴いてるだけ。そこにお金なんて存在しない。

それに対する愛だけがそこにある。

でも好きなことを続けて生活するには多少のお金がいる。

愛は互いに分かち合うものだと思う。
楽しいことも嬉しいことも悲しいことも苦しいことも。

例えば、君には彼女(彼氏)がいる。二人はサッカー観戦が好きで、よく一緒にスタジアムに行ったりテレビで観たりして盛り上がっている。その時間が君は何よりも好きだ。
そんなある日。彼女が突然の事故で両目が見えなくなってしまった。
もう二人でサッカーを観ることはできない。
君は、もうサッカーが一緒に観れないからといって失明した彼女のもとから去ってしまうのか?

ある人が言った話。

自分の中にある100個の愛のうち、半分を彼女にあげて、半分を彼女から貰う。もし結婚して子どもができたら、残りの半分を子どもにあげる。
自分に残ったのは彼女の愛50個だけ。
愛とは自分の全てを捧げること。
もし彼女が捧げくれた50個の愛が減っているようなら、自分が50個を捧げられていないということなのだろう。
50個を必死に捧げても彼女が満たされないのなら、それは相性が合ってない。

人間の話は分かりやすい方だ。

話しを戻すと、サッカーや音楽などは、見えないところでどんどん崩れていってしまう。手遅れになる。

サッカー選手やミュージシャンはお金が欲しくてそれをやっている訳じゃない(もちろんそういう人もいっぱいいるだろうけど)
する人も観る人も、つくる人も聴く人も、その真ん中にあるサッカーや音楽を愛している。
だから選手やミュージシャンが考えたくはないお金などの部分も、それを買うということでつくり手と受け手が分かち合う。それでこその愛なのではないだろうか。

別にユニフォームやCDを買えと強要するための文じゃなくて。

ユニフォームやCDは別に買わなくても試合は観れるし、音楽は聴けるからとか、全てを自分の都合に合わせた考え方をしていると、曖昧な愛が、いつの間にか哀しい場所へ向かうような、そんな気がしただけ。

ただの買い物の話です。

もちろん無理のない範囲で。
過剰なのもおかしな方向に向かっちゃうから。