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リヒターズベルド

 

 

リヒターズベルド

 

 

このバンドについて、いつか書かなくてはいけないと思っていました。

 

 

以下はこのバンドのドラムでリーダーだった私の個人的な記憶と想いなのでこれが全てではありません。

 

【メンバー】

Vo&Gu:フクハラ コウスケ

Gu:キハラ ダイキ

Ba&Cho:ニシオカ ケンタロウ

Dr:サカモト ヒロキ(リーダー)

 

 

【~2009年】

流行りの音楽が聴けなかった僕らはよく音楽の話をした。周りの友達には昔の音楽を聴くことを理解されないからこそ、それは僕にとって特別な時間だった。

そんな中、文化祭で木原がバンドを組んでライブをした。正確なことは覚えていないが、その時のメンバーとは続けないから、ギターが家にあった福原と音楽の趣味が合った僕、そして親しい友人だったもう一人の4人で、新たに高校でバンドをしようという話しになったと思う。

 

 

何も知らなかった僕は音楽という、みんなとは違う道にこれまで感じたことのない強い光を感じていました。今とは別の場所へ行きたいという想いがずっとあったのだと思います。

自転車で木原と二人、夜の道を走りながらこれからの話をしていたとき、僕は「なんか泣きそうだ」って言いました。覚えていないかもしれませんが、あれが僕の気持ちの全てでした、それは今でも。

 

 

 

 

【2010年】

同じ高校に入学した4人は、高校になかった軽音楽部をつくろうとするが失敗し、当初のベースはそれを理由にバンドを辞める。

その後、僕と同じクラスでギターをしていた西岡をベースに引きずり込み、最後の形のメンバーが揃う。

7月25日、藍住町のハイテク公園にて文化祭へ向けて会議。僕が持ってきた案でバンド名が採用になり、とりあえずの名が決まる。カタカナという条件で、インターネットで探して見つけた、特に意味のない名前。リヒターズベルド。

9月、文化祭で初ライブ。まだボーカルが定まっておらず、木原2曲、福原1曲、西岡1曲を歌い計4曲。

文化祭後、オリジナル曲の製作に取りかかる。最初は木原が曲を作ったが、メンバー間でトラブルが起こる。

12月、西岡が作った1曲プラス文化祭でコピーした1曲で文化の森で行われたイベントに出る。初のオリジナル曲は、ライブのリハ(前日だった)後に飛び込みでスタジオに行き、なんとか完成。

 

 

 この頃はまだ何も分からないまま、ただ公園や福原の家でコピーする曲かんがえたり、ライブ映像を携帯で見たりしたことや、スタジオと家を往復していたことが断片的に思い出されます。とにかく夢中でやっていました。

トラブルについてはどう終息したのかもよく覚えていません。でもこれを機に、僕は木原が自信を失ったというか、思考がマイナスにむき出したように感じていました。この事について何も出来なかったことを今でも悔やんでいます。

 

 

 

 

【2011年】

3月26日、文化の森でのイベントで知り合った大学生バンド主催ライブに出演。場所は銀座CROWBAR。福原と西岡が新たにオリジナル曲を1曲ずつ作り、オリジナル3曲とコピー曲。

その後、文化祭まで目立った活動はなし。

9月、文化祭。新たに福原が1曲作り、その曲とコピー曲。

11月19日、音楽系専門学校主催のイベントでライブ。場所は徳島Club GRINDHOUSE。初めてセットリスト全てをオリジナル曲で組む。

 

 

正直高校2年生の記憶があまりありません。

西岡が辞める辞めないとか文化祭出る出ないとか、音楽に関係ない不要なことばっかりやっていたような。

自分の知識のなさで思うような曲に出来ず、険悪になることもありました。

 

 

 

 

【2012年】

1月16日、友人バンド主催のライブに出演。場所は銀座CROWBAR。年明け早々のライブだったこともあり、準備不足で史上最悪のライブに。

タウン誌の高校生バンド特集企画で取材を受ける。

9月文化祭。久々に木原が1曲歌った。

以後、受験のため活動休止。ICレコーダー録音音源によるCD完全自主製作のための準備。

 

 

バンドを組んだ頃から時が経つにつれ、僕はバンドに歪みが生じていたのにも薄々気づいていました。

そんな時、僕は福原が大学に行ったらサッカーをすると楽しそうに話しているのを聞いてショックを受けました。

まだ今あるこのバンドが何も終わってないのに、もう過去のものとして話が進んでいることが僕は哀しかったのです。それは僕の勝手な気持ちであることは今なら分かります。

でも僕はこのバンドでまだ何も出来ていない。何かが何なのかは未だに分かりません。でもそういう想いで一杯で、何も手に付きませんでした。

 

 

 

 

【2013年】

3月20日、卒業ライブ。場所は徳島Club GRINDHOUSE。新曲を1曲加えた全オリジナルのセットリスト。最後のライブとなる。

完全自主製作CD「リーブルヴィルにて」完成。

リヒターズベルド活動休止。

 

 

 

 

 

 

 

 

【2013年4月~】

バンドメンバーは全員がばらばらの大学へ進み、その後全員が顔を揃えたのは2、3回だったような気がします。

僕は何もできなかった3年間だと思いました。

もっと力があれば納得のいく曲をつくれたのではないかという想いを抱えて大学生活を過ごしていました。それに囚われ続けていました。

自分がリーダーとして適切な行動が出来ていればもっとバンドが速く歩けたのではないかと思い、リーダーシップや組織に関する本を読み漁ったりもしました。

ベースを買い、アレンジしていない曲にドラムとベースをつけたりもしました。

またあの4人でもう一度バンドができると信じていたのです、僕は。

解散ではなく活動休止としたのも僕のわがままです。

 

 

これは僕の勝手な想いとわがままです。

勝手に、もう一度、あの中庭のステージでの出番を待つ、薄暗い階段下の時間を期待していたのです。

 

 

 

いつしかスタジオに行った時、「今日は俺がスタジオ代全部払う」と言って払ったことがありました。

僕はお金が無いと言ってスタジオに行くのを何度か拒まれた事が嫌で、お金のことはいいからとにかくスタジオに行きたいという思いでそういう行動に出たのですが、スタジオから出た後、何度も「本当に返さんよ」「後で返せとか言うなよ」って強く確認されました。

なんだか哀しくなりました。

全く信用されてないんだなって感じました。

一回分浮いたお金でまたスタジオに行きたいと思っていただけなのに甘かったですね。スタジオで浮いたお金がスタジオ代に行くなんて限らないですものね。

 

 

3年間の集大成として作ったCD「リーブルヴィルにて」歌詞カードなど全て手書きのものを印刷して作りましたが、ここで一つかなり揉めたことがありました。

それは手書きを担当していた福原がクレジットのspecial thanks欄に、高校のみんな と 福原が通っていた塾の名前という2つを書いてきたことです。

僕は絶対に消してほしいと言いましたが、何を言っても絶対に受け入れず結局そのままになりました。

今でもあの二行は許せません。

まず前者、同じ高校とかいうだけで何故関係もない人が関わった風に書かれるのか理解出来ませんでした。僕が孤独に戦った日々への否定の一行だと感じました。みんなありがとう的なのが本当に無理です。

そして後者、この一行は僕の3年間を無価値にしました。あなたが塾の友達に名前を載せたと自慢気に話しているのが目に浮かびます。僕は君のオシャレの為にバンドをやってきたのではありません。でも3年間の集大成として作ったCDの行き着いた先が、そのような、くだらない事の為だったのなら、僕は何を必死になって作っていたのでしょうか。僕の3年間が、たった数分盛り上がるための道具にされてしまった事が本当に気持ち悪いのです。

 

 この頃、僕の中でうごめいていた苛立ちの感情が、僕のどこを巣くっていたさえも分からない僕は本当に自分が嫌いでした。

 

 

僕はあなたたちと友達でいたくはありませんでした。友達という単語で説明できる、ありふれた関係でいたくはありませんでした。

中学生のあの頃、流行りの音楽を聴けなかった僕らは、特別なものを持ち合っていると信じていました、言葉で表さなくてもわかるものを。

だから君と僕は友達はじゃありません。それは最初から変わっていません、何も。

だから、あの特別なものを失ったら、僕は君と普通の友達として一緒に居ることができません。

 

でももう、それも全て終わりなのです。

 

僕の宝物が他の人にとっても、ほんとうの宝物じゃないと、やっと理解したときの、ぶつけどころのない苛立ちで僕はどうにかなりそうです。

 

 

 

 

 

 

 振り返るとあまりにも行数が少ない日記でした。

 

でも僕は、確かにそんな日々を何よりも愛していたのです

 

 

 

 

 僕の中にある記憶はこれが全てです。

 

 

 

 

 

 

 

このバンドは僕が見つけた宝物でした。

 

自分が誰かも分からなくて

でも分かってほしくて

何もできないし何処へも行けない

そんな苛立ちからいつも不機嫌で

周りに溶け込むことが出来なくなった

 

そんな僕が必死に見つけて磨き続けた宝物でした。

他の人にとっては、その辺に転がっている石ころと同じようなものだったのかもしれません。

でも僕にとってはたったひとつの宝物でした。

 

 

 

 

 

 

このバンドの話しは、これでおしまい。

 

 

 

 

 

 

 


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